本当の優しさとは

― 転ぶことから始まる「学び」と「支え方」 ―

ある冬の日、友人たちとスキーに行ったときのことを、今でもよく覚えています。
その中に、スキーがほとんど初めてという友人の彼女がいました。
何度も転び、なかなか起き上がれずにいる。
普通なら、手を差し伸べて起こしてあげるのが“優しさ”だと思いますよね。

でも、彼氏であるその友人は違いました。
彼女の隣にしゃがみ、自分も転びながら「こうやって起きるんだよ」と起き上がり方を教えていた。
その光景を見て、当時20歳の自分は衝撃を受けました。
「本当の優しさって、こういうことなんだ」と。

手を貸してあげるのは一瞬の優しさ。
でも、自分で立ち上がれるように導くことこそ、
その人の未来に残る“本当の優しさ”だと感じたのです。


優しさは、相手のステージによって形を変える

この出来事をきっかけに、ずっと心に残っている言葉があります。
中国の老子の言葉、「授人以魚 不如授人以漁(魚を与えるより、釣り方を教えよ)」です。

一時的に魚を与えても、すぐに食べてなくなってしまう。
けれど、釣り方を教えれば、その人は一生自分で生きていける。
つまり、“一瞬の優しさ”ではなく、“自立を支える優しさ”が大切だという教えです。

ただ、最近になって気づいたのは――
その「優しさ」には“ステージ”があるということ。
誰にでも同じ優しさが届くわけではない。
受け取る側の“状態”によって、意味がまるで変わってしまう。


ステージ①:まだ受け取る準備ができていないとき

どれだけ良い言葉を伝えても、
本人に“学びたい”“変わりたい”という意識がなければ、それは届かない。
むしろ、ただの“おせっかい”になってしまうことさえある。

この段階の人に必要なのは、助言でも説得でもなく、
「見守る優しさ」だと思います。
焦らず、待つ。
必要なときにきっかけを掴めるように、静かに見守る。
それも立派な優しさの形です。


ステージ②:転んで痛みを知ったとき

次に訪れるのが、“転んで痛みを知る”ステージです。
人は行動しなければ転びません。
転ぶということは、挑戦した証拠です。

その瞬間、痛みや悔しさを通して学びが生まれる。
初めて「もう一度やってみよう」と思えるようになる。
ここでようやく、優しさが届く。

だからこの段階では、手を差し伸べるのではなく、
「どうすれば自分で立ち上がれるか」を教えることが大切。
スキーの彼のように、隣に寄り添いながら、
自分で立てる力を引き出してあげる。
それが“育てる優しさ”です。


ステージ③:前に進もうとしているとき

そして、最後のステージは“前に進もうとしている人”です。
一度転び、痛みを知り、それでも前を向いて歩こうとする人。
この段階の人にこそ、厳しい言葉も届く。

まだ準備ができていない人に同じことを言っても、
「否定された」としか感じられないことが多い。
でも、挑戦している人は違います。
その言葉の裏にある“本気の想い”を受け取ってくれる。

だからこそ、私はチャレンジしている人を全力で応援したい。
その人が転んだときは、ただ励ますだけでなく、
もう一度立ち上がる力を取り戻せるように支えたい。
そのためには、時に厳しく、本音で向き合うことも必要です。


優しさの本質は「相手の今に合わせること」

優しさは、与える側の気持ちではなく、
受け取る側の“今”に合わせることが大事だと思います。

壺ほるでも同じです。
スタッフ一人ひとりの成長段階に合わせて、
「見守る」「教える」「任せる」を意識して関わっています。

まだ覚えたてのときは、見守りながら支える。
できるようになってきたら、考える機会を与える。
そして、自信がついたら、思いきって任せてみる。
このサイクルがうまく回ると、
スタッフは自分で考え、動けるようになる。

つまり、「本当の優しさ」とは、
その人が自分の足で立てるようになるまで寄り添うこと。
それを繰り返していくことが、
チームの成長にもつながると感じています。


おわりに

優しさは、押しつけではなく、タイミング。
どんなに正しいことでも、相手のステージが違えば届かない。
でも、挑戦している人、前に進もうとしている人には、
きっと深く響くはずです。

1ミリでも前に進もうとする人を、
これからも全力で応援していきたい。
そして、自分自身も“立ち上がり続ける側”でありたい。

それが、私の考える“本当の優しさ”です。